富士宮口登山道の体験記

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富士宮口登山道の体験記の感想・体験談
内田實さんの投稿 | 投稿日:2011年9月27日 15:45

精進湖口登山道からお中道周り
                潮来市 内田實
平成23年9月、富士山の精進湖口登山道の麓から出発して4合目の山小屋に泊まり翌日お中道で大沢崩れの景色を眺め、5合目駐車場に至るというハイキング的な登山をしてきました。苦しみの多い富士山登頂と違った割合に苦痛の少ない富士山の側面を愉しんできました。
9月17日、3連休初日に茨城県の潮来市から富士山に向けて出発。計画では早朝一番の5時5分の始発高速バスに乗車、乗換えがスムーズに行けば4時間後の9時過ぎには河口湖の駅前にたどり着いているという予定。
都内の早朝渋滞で予定より5分遅れで東京駅に到着。新宿への中央線に乗ると「線路への転落者が発生」と車内アナウンスがあり数分間途中で立ち往生。新宿駅7時3分発の特急に乗り込んだのは列車のドアが閉まる寸前でした。やれやれ。
この日、二つの台風が太平洋上に停滞し初日の山麓の天気予報は雨のち曇り、翌日が晴れ間の予報。翌日のお中道を味わうことに主眼を置いているので、初日の登山は雨を我慢しなければと覚悟し前日になって富士山行きを決行。
河口湖駅に降り立つと空はどんよりとしていた。駅近くのコンビニで2食分の食料と飲物を買出し駅に戻ると朝食に名物の「ほうとう」を。一日数本しかないバスの発車までの30分余りの間に買出しと朝食まで済ませるという過密スケジュールだった。
新富士方面行きのバスは8名ほどの乗客だけで車内は閑散としたものだった。発車してしばらくするとバスは時々降りかかる雨にワイパーをかけ始める。富士休暇村のバス停で半数の人が下車し、目的地の「赤池」で下車するのは私一人のようだった。
バスの中で降車のボタンを押すと突然後ろから女の人が声をかけてきた。「あの、ここで降りて、どちらに行かれるのですか?」中年の奥さん二人連れで、どちらも軽めのリュックを背負った私と同じような姿である。「はぁ、どこって、富士山に行くのですが--」と答えると「ここからですかァ?」目を見開いている。精進湖口登山道を麓から試みる登山者は極めて少ない。その入り口を知る登山者も余り居ないだろう。婦人たちは何故こんなところで登山姿の人が降りるのかと好奇心で一杯の様子だった。私は樹海での自殺志願者と疑われて声をかけられたのかもしれないな、とふと考え簡単に予定を話した。「麓から4合目まで行って山小屋に泊まり、次の日にお中道を回る計画なのですよ」「へぇーっ」しきりに感心していた。「今までも5回登っているので道は知っています」安心してもらおうと伝えると「雨なのに大変ですねぇ」つくづく同情するように婦人同士で顔を見合わせていた。
数分後にバス停に着くと土砂降りになっていた。駆け足で消防署裏の登山道近くまで来ると木陰に駆け込んで急いで雨具やザックカバーを取り出し着替えを済ませた。よりによって下車と共に雨が降り出すとは、山は本当に天気が変わりやすい。精進湖口登山道入り口の看板には現在地が既に標高928mであると示していた。緑に囲まれた人気の無い登山道を歩き始める。
今回はストックを一本だけ用意した。登頂目的なら2本用意するところだがきつい登りが続く訳でもなく御中道はほぼ水平な山道で1本あればいいだろう。首には緊急時の合図用にホイッスル、ザックには護身用のサバイバルナイフをぶら下げた。ナイフはインターネットで購入した軍事メーカー、スミス・アンド・ウェッソン社製のごついサバイバルナイフで、万が一の護身用となる唯一の武器である。
5年前、初めて船津口登山道を麓から一人で登った時、2合目付近の誰もいない登山道でツキノワグマが死んでいたのを実際に目にしていた。須走り口の5合目では二頭連れの鹿も見かけた。富士山の5合目から下では色々な動物が自然の中で生きているのを知っており、万が一のための用意である。
精進湖口登山道は入り口から1時間ほどの登山道が実に不気味である。苔むした緑が山道から周囲一体を覆っているいわゆる樹海地帯で、脇見をして歩いていると見たくもないものまで見てしまうようでフードを深く被り前だけ見て進む。実に静かで人っ子ひとりすれ違わない。雨に誘われたのか大きな蝦蟇ガエルが堂々と濡れた路面を歩いている。筑波の蝦蟇ガエルなら歌でも聞くが、富士山の蝦蟇である。田んぼのトノサマガエルと違って引き締まって黒々としている。さすが山で鍛えられているだけあって肌の色といい形といい岩と間違えそうな蝦蟇ガエルである。時々ぱっと雨が上がり、木漏れ日が差すと思うとまた降り出す繰り返し。2本目の舗装道路を横切り、すぐ右側に広場があり木の下で休憩と食事の時間にする。たまたま雨も上がっていた。
食後、電波が通じたのでここから携帯電話で4合目の奥庭荘に宿泊を申し込んだ。到着予定時刻は夕方5時から6時までの予想を伝えた。この日手持ちの水分は2,5リットルを用意していた。お茶が1,5リットル、紅茶とスポーツドリンク500ccを各1本。雨なので気温も少し低く、それで足りる計算であった。
3合目広場ではキノコ採りのおばさんと道で遭遇し、朝から人と久しぶりに会うせいか立ち話。精進湖口登山道を5合目近くまでキノコ採りで歩いてきたという。2つの竹駕籠をいっぱいの収穫物で膨らませており好事家にとってあたり一面がキノコの宝庫のようだ。3合目広場から、一息ついて奥庭荘に向かって勾配のきつくなる山道を登りはじめたのは3時半だった。
広場から奥庭荘への入り口付近は登り始めてすぐに倒木が道を塞ぎ、遠回りを余儀なくされる。入り口からの200メートル前後は倒木を避け右に左にと大きく迂回を繰り返し、だいぶ汗をかいた頃になって山道に戻る。しばらく登っていると携帯に電話がかかってきた。誰かと思うと奥庭荘からの電話で、どの辺にいるのか、雨は大丈夫ですかと気遣いしての電話であった。何とか順調に登山道を進んでいること、夕方6時前には着けるだろうと伝え携帯を切ると自然に頑張り心が沸いてくる。気にかけてくれる人が居る、頑張ろう。途中の登山道もそうだったが雨模様のせいか足許にはキノコがあちこちに傘を開いている。白や赤、キノコの種類は豊富のようだ。誰ともすれ違わず雨に打たれながらひたすら山道を進み、奥庭荘に到着したのは午後5時15分だった。
「お待ちしていました、早かったですね」の歓迎を受け濡れたレインウエァ、靴、帽子を食堂土間の空いたところに干させてもらう。確認すると宿泊者は私一人であった。2階の宿泊部屋に案内される。150人は優に泊まれそうな二階に本日の客はなんと私一人である。旅館のように畳間にフトンや毛布、掛け布団、枕、シーツ、浴衣までが1組用意してある。2階を一人で貸しきりはよいが広すぎ、静か過ぎで余りにも淋しい。
1ヶ月前の富士登山の時が思い起こされる。9合目の山小屋で、その日台風の避難客も詰めかけたせいで4畳ほどの空間に5人で寝かされた。肩を寄せ合う狭さで、隣のおじさんの寝息がまともに顔にかかり、反対を向くと、これまたおじさんが背中を向けていて寝返りをするのも窮屈だった。同じ富士山の山小屋でも時と場所により余りにも極端である。
着替えを済ませ1階に戻ると夕食になった。缶ビールを頼み、咽を潤す。夕食は幾種類ものキノコや肉がぎっしりと入った「ほうとう」鍋とうなぎの蒲焼、ポテトサラダ、揚げたての何種類ものてんぷら、肉と野菜の煮付け、漬物、メロンのデザート、お替わり自由のご飯、自家製コケモモジュースといった豪華版。朝は早めに山小屋を出て途中で食べようと朝食弁当も同時に用意してもらった。海苔おにぎりが3個、味つけ煮卵、チーズ、トマト、茹でピーナッツ、ヨーグルト、お茶ボトルが2つのパックに準備されていた。この1泊2食付で7.800円である。追加で頼んだペットボトルも平地と大差ない良心的な値段の店である。この10年間でこの奥庭荘には今まで3度ほど泊まったが、5合目からは1時間以上も歩く不便さのためだろうが宿泊客はいつも少なく、その良さを知っている人しか泊まらない山小屋である。朝から6時間前後も麓から歩き、登り、疲れたせいだろう夕食は半分ほど食べたところでお腹がいっぱいになった。大満足であった。
山小屋の人から、普通は夜10時消灯だが今夜は客も少ないので9時に消灯したいという。私は早朝から動き回り、疲れも溜まっているのでかえって好都合、それよりも早く寝そうだ。8時前には部屋に戻り、布団の周囲にザックを空にして中身を広げる。濡れてしまった荷物も一晩広げておけば乾くだろう。誰も周りにいないし迷惑にもならない。布団に入り横になると、消灯時間を待たずに眠りに落ちたようだった。深夜、トイレに起きた時には風音、雨音が屋根の上を吹き荒れていた。明日晴れるだろうか、予報通りになってくれるといいが。深夜のラジオをイヤホンで聴きながらいつしかまた眠りについていた。

9月18日土曜日の朝、寝床で目を覚ますと曇りガラスの窓越しに揺れ動く黒い木々が映っていた。外の暗さに、おやっ、まだ雨が降っているのか?晴れにならないのか?と思いつつ窓を開けると外は夜明け直前のための暗さであった。昨日の大きな雲は風に吹き飛ばされ、高い空には白い筋雲が刷毛で掃いたように描かれていた。今からぐんぐんと空に青みを増して快晴になって行く兆候である。天気予報が当たった!心地よい風に体も目覚め、周囲に干していた荷物をザックに整理し出発の準備を始めた。
今年は7月と8月に富士山に海側、山側からそれぞれ登頂し富士山には通算で23回登頂したことになる。登頂を目指す苦行のような登山もそれなりに充実感があるがハイキングのような楽しい富士山も息抜きには必要だ、今日はその慰安の日だ。 
これぐらいの富士山なら妻も一緒に登れるだろうと何日か前に誘ったが「樹海なんかこわくて通りたくない」その不気味な淋しさ、距離の長さを話していたので敬遠され一人旅になってしまった。まっ、寂しいけど気遣いながら登るよりは、自由気ままに行けていいか。
まだ薄暗い1階に降りると店の外に何人もの人影があってこんな早朝に何だろうと思ってみるとバードウオッチングの人達だった。この奥庭荘から数メートルしか離れていない庭先には小さな窪み程度の池があり、そこにやって来る小鳥達を観察、写真に収めるために折りたたみ椅子持参で観察している人達だった。宿の人に挨拶して奥庭荘を後にスバルライン目指して登っていくと4合目の駐車場から下りてくる更に何人ものカメラを抱えた人達とすれ違った。実に愛鳥家が多い。
スバルラインまで20分もコンクリート道路をエッサホッサと登る。道路に出ると目の前にスバルラインと並行してダンプカーの作業道路があった。交通整理の旗振りをしている人にお中道はここからでいいのか、と聞くと「何処まで行くのだね?」「大沢崩れまで」と答えると「ここから行けるよ」と言う。ダンプと一緒に作業道を歩いて行くと800メートルも進む頃「ヘリポート」の現場が見えてきた。このヘリポートにいったん資材を集めヘリコプターで大沢まで空輸するようだ。遠くに雲上の山並みが連なって、この作業場からその大パノラマが見渡せる。空が開け、青味を濃くし始める。作業現場を後ろにして道なりに進むと曲がり角に石の道標があり標高は2327メートルを表示している。「大沢へ」の矢印が山に分け入る細い山道を指している。丁度キノコ採りの人が通りかかったので不安になり聞いてみるとその細い山道の方向でいいと言う。非常に狭そうな道で誰も居なかったら、本当にここかいな、と迷うところだ。登り始めるとすぐに道が途切れ不明確になる。3合目からの登り際と似ていて登り始めて間もなく「倒木」や「崩れ」で足許がはっきりしない。上へ上へと倒木を避けて歩いていると間もなく山道に戻った。しかし狭い山道で、やっと人とすれ違える程度の道幅しかなく機械が通ったことの無いのを示していた。
昨日の雨でキノコがこのへんにも一杯あるようだ。こんな山道なのにと言おうかこんな山道だからこそといおうか、何組ものキノコ採りのグループとすれ違った。朝7時と言うのに趣味の世界は人を発奮させるものらしい。
大沢までは地図を見ると4合目からで2時間半、距離にして4~5Kmといったところ。確かに急な勾配を歩くところは少ない。反時計回りに歩くので進行方向の右側に斜面が来る。30分も歩くと森が開けて岩場が広がった。一つ目の沢、滑沢(なめさわ)である。歩いているとそれまでの森林が急に開け、全長100m以上に渡って荒涼たる岩肌の斜面になる。昔はこの一帯も木々に覆われていたのだろうが長い年月の風雪や流れ落ちる雨に岩肌だけになってしまった感じだ。
ここからの眺めはそれまでの森林地帯と違い、視界が開けてかなりワイドになっている。レリーフが彫ってある石碑の後ろに腰を下ろし、休憩を兼ねて周囲を眺めた。レリーフには槍岳とか八ヶ岳の連山が説明付きで掘られており、(私は富士山一本槍なのでそれらの山々に登ったことはないが)絶景として一望できる。手前、眼下には浮雲が一幅の絵となって漂っている。「なぜこんなに富士山が好きなのだろう」目の前の景色を見ながら、自分の富士山好きの理由を考えてみる。
富士山ならではの眺めに、雲を眼下に見る事がある。富士山はそれが出来るくらい標高が高いということだ。私は20回以上富士山に登っている「富士山バカ」を自認する一人だが、1000回以上登っている「もっと立派な富士山バカ」がいて、その人の本を読んでいた時、ああ、同じ感じ方の人がいるなと思ったものだった。その人は實川欣伸(じつかわよしのぶ)さんという『富士山に千回登りました』の著者でその体験記の中でこんな記述をしていた。
「何よりも雲の上の雄大な自然に包まれると下界のこともすっかり忘れて、神様のようになれるのが富士登山の醍醐味だ」と。
確かにそうだと思う。目前に平らに雲や朝日を見る、又は見上げるのではなく、それらの光景をはるか眼下に見る時、神の視点に立ったような感覚を人は味わうのだろう。同じ朝日、同じ雲が富士山の高見に立つと感動を覚えるものになるのだ、と思う。上司目線、先輩目線、目線にも色々あるが富士山目線というのも確かにあり、それが自分の富士山好きの理由のひとつなのだと思う。
更に歩くと「仏石流し」と言う奇妙な名前の沢に到着した。山肌を見あげると頂上越しに朝日が逆光となって光る。今にも崩れ落ちそうな岩が山肌に黒々と突き出て見える。崩壊はここでも毎年少しずつ進んでいることだろう。歩いていると何故登山道がこちら側に設けられないのかわかる気がする。途中に山小屋を設けられるような平らな箇所が探し出せない。登山道を設ける安定した岩場もなく全体が勾配のきついガレ場で、たとえ道を作っても翌年になると崩れ、流されそうな斜面だ。
さらに進むと、ところどころ道が途切れて鎖場になったり道が流され途切れ、ハシゴが懸かって道の代行をしていたり、と奥に行くほど道は少しずつ険しくなる。よじ登る場所も何度か遭遇する。2時間も歩く間に数組のキノコ採り、数名の登山者とすれ違い、ついに「お助け小屋」に到着した。地図上の大沢崩れ手前の最終点である。時間は9時。臨時の避難小屋と書いてあるが、好奇心から中を見てみようと思うが入口の戸には鍵がかかってあって入れない。小屋の下にはバイオトイレが一基登山者のために用意してある。お中道を訪ねる人も多いのだろう。小屋の軒先で用意してもらった弁当を広げ遅い朝食を摂る。
おにぎりを食べていると別の夫婦の登山者が後からやって来た。ここから更に先に行ってみるという。ここには看板が立ててあってこれから先は工事関係者以外進まないで下さいとある。しかし大沢崩れを見に来て、それを見ずにここから帰れと言うのも無理がある。彼らは小屋をあとにしてから10分もすると戻ってきた。大沢崩れの深いえぐれを見て来たと言う。「こーんな、すごい絶壁でした」身振りで沢の様子を伝えてくれた。食事が済んでから、私も看板の先に行ってみた。大沢崩れの絶壁が近いためだろう歩いていくと今までに無い急な下りになっている。岩や木に掴まってそろりそろりと降りていく。ロープが張ってある限界まで行って見るとなるほどここが限界地点だなと言う光景になった。この先はロッククライミングの世界だ。
こちらから対岸まで500m以上はあるだろうか。その沢の深さも100m はあるだろうか。大規模に崩れ落ちた壮大な沢が広がっていた。上に目線をたどっていくと富士山頂、剣ヶ峰が逆光越しに見あげられた。数年前に撤去された気象台ポリドームの基礎らしきものも見える。余りの広大な崩壊に救いようの無い感慨を覚える。富士山の頂上はいつの時代かこの大沢方面側から崩れ落ち、左右対称の今の美しい富士山山頂の形も変ってしまうだろう。崩壊するに任せればこの大沢崩れは富士山の形の命取りになっていくだろう。昨日の雨の余韻で深い沢のほうからは水の流れ落ちる小川の音が聞こえていた。乾いた時期にはその音さえ無く、雨の降った翌日だけ聞こえる水音なのだろう。
今から12年前、当時の建設省砂防工事の記念事業でお中道一周行事が催され、たまたまそれを知った私は応募し参加していた。富士宮口から道なき道を100名ほどの参加者が一周したのだった。その時、主催者の尽力でこの大沢の一番安全な地点の絶壁に特性のはしごが掛けられ参加者たちは特別待遇で沢を降り、大沢を渡ることが出来た。切り立った断崖を垂直のハシゴで降りたのを覚えていた。作業用の小さなトロッコも斜面に取り付いていた。今にしてみれば幻のお中道一周コースとなってしまった。その光景はここからは伺い知れなかった。しばらく眺めたあと、もと来た道を同じように戻った。
大沢崩れからバスの発車する5合目駐車場までは、足場に慣れたせいだろうか意外に早く昼前に到着できた。同じお中道でも4合目駐車場辺りからの道はかなり広くなっていて歩きやすい。まさに観光客のためのお中道になっている。観光バスのにぎわう広場に戻りストックやスパッツを整理し荷物をひとつにまとめる。余分な水も捨て、身軽になる。
バス停で聞くと富士山5合目から新宿駅直行のバスは予約で一杯というが並んで待っていると予想したようにキャンセルが出てすんなりと乗ることができた。下山に間に合わなかった人や前の日の天候で乗車を取りやめにした人が多いようだ。何のことはない半分の席が空いていた。

帰宅後、いつもだとやってくる筋肉痛が今回は3日たっても4日たってもやってこない。やはり登山は登りより下りで脚を痛め疲労を増すようだ。下りの衝撃を支える脚の筋肉は尿酸値を高め激しい疲労を増すが、今回の私の登山は登るだけのため足の痛みが全くない。そのくせ体重は出発前と比べ、登頂した時のようにやはり2Kg落ちていた。今後は苦しみの多い登山から、こんな楽しみの多い登山も織り交ぜたいものだと感じた2日間だった。   (了)

内田實さんの投稿 | 投稿日:2011年8月29日 15:09

検証「雲上の富士山は、下界の天気予報と無関係か?」                        内田 實
8月19日の金曜からこの夏二度目の富士登山に行ってきました。ちなみに一度目は山開き日、富士山駅から歩いて吉田口登山道を登頂。
今回の登山は富士宮口登山道、肝心の出発の日に低気圧の前線が下がり天候悪化の予報が出ている点が問題でしたが富士山の天気予報を見ると「曇か霧一時雨か雷雨」と良い兆候は無くこの予報を見ただけで計画中止となるところ。しかし、ひとつの疑問が浮かんで登山を決行させました。その疑問とは、

「雲上の富士山は、下界の天気予報と無関係では?」

疑問と好奇心が入り混じり自ら験してみたい、と登山を決行することに。
8月19日、東京駅から新幹線で三島迄。三島駅に降り立つとひときわ声高い蝉時雨の出迎え。三島からは午前中に1本だけある富士山5合目までの登山バスに連絡、満席の8割ほどの乗車率で5合目に到着したのは定刻の12時20分。5合目に近くなるほどガスは白く立ちこめ時々小雨も混じり予報のハズレを期待したが日本の天気予報は正確そのもの。
天気予報から、登山者が余り居ないのではと思ったが三々五々登山者は全国から集まり5合目のレストランは3~4割ほどの混雑。ここで一時間ほど気圧になれるため身づくろいをして時間調整、天ぷらうどん800円也を頂く。外は小雨が降り始め、Tシャツの上に長袖シャツ、ゴアテックスのレインウエァ上下を身につける。雨よけのザックカバーもつけ1時半にウォーミングアップをして登山開始。登山口に居た安全センターの人に雷の情報を聞くがその時点では特に雷注意報は出て無い様子だった。『9合目に電話したら、外はガスで何も見えないようです』と好天は望めない話しぶり。致し方ないだろう。晴れは期待できない。
 富士宮口の登山道は最初から勾配が淡々と続く。最初、できるだけゆっくりのペースを心がける。数人のグループが登山道の先々を白いガス煙の中、思い思いのペースで登ったり立ち止まったりしている。旗を立てた大人数のグループ登山は見かけられず、金曜日のせいか意外に閑散としている。ガスに煙って登山道の前後に人影も見えなくなる時さえある。雨はやむ気配がない。6合目山小屋まで来ると雨はやや強くなりだした。
吉田口登山道と違いこちら富士宮口登山道は山小屋と山小屋の設置間隔が長く軒数も少ない。一息つくため雨宿りしようにも山小屋の軒先は短く、背中にザックを背負っているせいで半身が軒下から出てしまう。完全に濡れ鼠である。
驚いたことにこんな中、レインウェアーを用意してないのかシャツが濡れたまま帽子もかぶらず全身ずぶ濡れで登山を続ける人が居た。動いているから多少は身体から運動熱を発するだろうが強くなってきた雨で体温は奪われるばかりで他人事ながら心配になる。高度が上がるにつれ外気も下がり10度前後である。思わず『大丈夫ですか?風邪ひきますよ』声をかけた。泊まる山小屋が近ければよいが雨具も持たず無謀な人がいるものだ。自然を甘く見ているととんでもない目にあう見本のような人だ。
7合目、8合目と登るにつれ雨はひどくなって来た。登山道の上のほうから雨が小さな流れとなり、ミニチュアの川のようになって足許を流れていく。スプリンクラーを頭に載せて歩いている錯覚さえ覚える。ゴアテックスのレインウエァを身に着けていたので、保温性もあり助かった。命に関わる装備は質の高い物を選んでいるとやはり安心だ、と思った。夏休み期間中のため親子連れ登山も見かける。大人でさえへばっているのに笑顔を見せてがんばっている小学生の兄妹を見かけ頼もしく思ったものだった。
今回、60歳代後半と思われるある夫婦連れの登山者が鮮明に記憶に残った。この夫婦は決して速いスピードではなく後ろから見ているとノロノロ歩いて登っている老いた夫婦のように見える。ところがこちらが一休みしているといつの間にか追いつき、追い抜いていく。遅いのだが決して休まないのである。休憩を挟む必要があるかなしかの微妙なテンポで息長く登り続けられる人達だった。まさしく「ウサギと亀」の童話で何度追い抜き、休憩しているとこの夫婦に何度追い抜かれことだろう。『実にいいペースですね』何度目かの休憩で思わず話しかけたものだった。継続は力なりというが、不気味なほどの粘り足に思わず敬服し、そのペースを見習ったものだった。
8合目のあたりで雷の音が聞こえてきた。ドドーンと横から下から轟音が響き渡る。バリバリという大気を切り刻む音はしないので遠くの方で雷が発生しているのだろう。雨の中、自衛隊が富士山麓演習場で砲撃の訓練でもしているのかなとも思った。音はしばらくすると遠ざかった。
夕方の5時15分に9合目山小屋にたどり着くことが出来た。5合目から3時間45分で雨の中を9合目迄たどり着いたことになり、昨年より1時間も早く到着したことになる。晴天であれば景色を眺めたり写真を撮ったり、と楽しみながら登っただろうが今回は雨のせいでただ登るために登る工程となっていた。やはり、ゆっくりでも楽しみながらの登山の方が味わい深いものだ。
9合目の万年雪山荘に着いてから、宿泊カードを書くのに指先がかじかんでいるのに気がついた。手袋をしないでいたのでボールペンも握れないほど冷えていた。案内された宿泊場所は5人一部屋で広さとして4畳ほどの空間、先客が3人居るようで入り口から2番目のフトンを指定された。壁の釘にザックや装備を吊るすが、滲み込んだ雨滴が滴り落ちて寝具が濡れてしまう。しかし通路も壁も登山者の用具で占有されていて他に吊るすところも無く、足の踏み場もない有様だ。
靴下、靴もぐっしょり雨が滲みこみそのままだと風邪をひきそうなので濡れたシャツだけでも取り替えようと、カーテンを引いて比較的濡れていない衣服を引っ張り出して着替えた。ザックカバーも買い換えたばかりの新しいものでしっかり覆っていたつもりだったが背中の隙間から雨がしみこんだのか、中の着替えも幾らか濡れてしまっていた。今後はザックの中の衣類はすべてビニール袋に入れておこうと教訓になった。6000円の1食付宿泊料金を支払い、夕食のカレーを食べると何もする事が無く、寝床に戻り両脇の登山者と雑談を交わした。右側の人は京都からの60歳代の人だった。夜7時には5人全員横になったが、掛け布団は5人に二枚が掛かっており、誰かが寝返りを打つ都度右へ左へと移動してしまう。身長170センチの私が背筋を伸ばすと足と頭が壁にぶつかってしまう狭さだ。隣の京都の人の鼻息が顔にかかって夜中に何度も目が覚めて仕方なかった。若い女の鼻息なら我慢できるかもしれないが(いや、それはそれでかえって眠れなくなるかも知れないが)むさ苦しいオジサン同士の寝息はとても歓迎できないものだ。眠ってしまえばこちらのもので「いびき」と「寝返り」で私も寝ている間は両脇の人を起こしたのかもしれないが----。
狭苦しくて零時過ぎから目が覚め、ラジオをイヤホンで聴いてウトウトしていたが午前2時半頃に通路の電灯が灯るとそれを合図に登山者たちが起床し始めた。私も身づくろいの混雑が過ぎる3時になって起床した。外へ出たら昨夜迄とは打って変わった青空に、と期待していたがガラスの窓越しに外を見ると小雨とガスで前夜来の天候が続いている。雨だけは昨夜より弱まっていたがガスは相変わらず濃く周囲を覆っている。明け方の寒気もあるのでフリースを重ね着し雨具完全着用で3時半に出発することにした。外の温度は6度を指していた。ヘッドランプが足許を照らすが、ガスの層に遮られて肝心の足許まで光りが届かない。景色も何もあったものではない。歩いていると黒い遠方の岩陰が時々サーッと現れては消える幻想的な白と黒の世界だ。
9合5尺の山小屋の前後に来て登り始めて初めての高山病の兆候が出た。吐き気である。寝床から起き出して間もなくの身体なので全体の機能が不活発のため適応できないのだろうと思った。普通に呼吸をしていると吐き気が込上げて来る感じがし、何度も大きく深呼吸を繰り返す。歩き出して2,3度吐き気に襲われたがじっとやり過ごす。9合5尺を過ぎて登山道も急な岩場になり勾配もかなりきつくなった。一歩ごとの足の運びもきつくなっていた。周囲はまだ暗かったが5時近くになってガスの合間に鳥居らしきものが見え隠れしてきた。頂上の鳥居が幻想を見ているように白いガスに煙って中空に浮かんでいる。やっと着いた、これ以上登らなくていいのだ、鳥居をくぐり抜けると同時にどっと肩の力が抜けた。
頂上の山小屋の室内は食事や休憩を求める登山者で一杯だった。力尽きたように床に両足を投げ出しガックリうなだれている登山者も居る。一杯500円の紙コップ入りの紅茶を頼み、何とか空いていた椅子を見つけ出し腰を下ろす。  
頂上周辺はガスで光景を見ることが出来ないし、頂上ならではの突風も吹いている。頂上三角点に行くにはあと20分は歩かねばならないが突風が気まぐれに吹きまくっており行ったところで何も見えないのは明らか。そのまま下山することにした。
帰路は帰りの交通の便から吉田口下山道も考えたが、そこに至るまでの突風が危険に思われ一番近くの御殿場口から下山することにした。自家用車で無くバスなど公共機関を利用して乗り継いでくると、行き先変更を臨機応変にできて実に気ままである。
富士山頂上の突風は途中の登山道で経験した突風とはまた違った激しさで、遮る物がなく恐ろしい。昨年7月、この辺で二人の登山者が突風に巻き上げられ転落死したのを知っていたので安全策をとった。
その去年の同じ日、同じ時刻にたまたま私は吉田口からだったが21回目の富士登山に出かけ、その時の強風を身をもって体験していた。頂上では一歩なりとも歩けない強風が吹きなぐっていた。立って歩くのが危険だったし出来そうも無かった。経験したことのない激しい風だった。女子供ならその軽さのために本当に山肌に吹き飛ばされてしまうだろうと思った。上空を吹くジェットストリームがこれなんじゃないかという強さであった。下山した翌日に事故は知った。
 下山開始。富士山頂郵便局の右から階段を下り、ほんの数分で御殿場口下山道の鳥居に着いた。休憩している間に周囲は明るくなっていた。鳥居をくぐった後は一歩一歩下って行けばよい。岩陰になると途端に風は遮られ静かな別天地になった。登ってくる登山者もまばらである。時計を見ると5時半を指しており頂上の休憩は30分足らずだった。ほとんど雨はやみ、ガスだけが付きまとった。
途中、赤岩八合館山小屋で朝食を食べた。1300円のカレーで山小屋としては珍しく自家製のカレーで、肉やらジャガイモやら具が沢山入っていた。「おかわりも自由ですからどうぞ」というが盛りがよくとても食べきれないほどだ。皇太子様の写真が飾ってあり尋ねると登山の時ここに以前宿泊したという。普通の人と同じカレーを食べ同じように宿泊したという。この山小屋で500円のコーラも買い求め、最後の飲み物補給とする。後はひたすら砂走りの下山道となった。雨に濡れた砂走りは快晴の時と違い砂煙がまったく出ない。いつもだとタオルを顔にまいたりマスクをしたりのスタイルになるが前日からの雨で砂埃の心配は無用だ。延々と続くはずの遠景がガスで前も後ろも何も見えない。
目的地が見えないのも心理的に良し悪しである。いつもだと、まだ、あんなに先かとうんざりしながら砂走りを下るが『あんなに』が見えない。粛々と下るだけだ。途中地図を開き、このへんに来ている筈だからあと何キロだろうとデジタル思考で計算し下り続ける。9時40分に大石茶屋に到着。ひざ廻りが下山道の長く続く衝撃でガクガクしている。大石茶屋で200円の冷えた缶入りミルクが身体に染み渡る。なんと美味しいことか。一息ついてそこからさらに15分ほど歩いたバス停で御殿場行きバスに乗車。
発車するまでの間にレインウエァを脱ぎ、靴の泥をそぎ落とし、と車内が汚れないようにする。8割ほどの乗車率で10時出発。30分後に御殿場駅に着くと下界には雨もガスも無かった。
今回の登山は、自分にとって大いなる実験であった。

「雲上の富士山は、下界の天気予報と無関係では?」
この疑問を持って臨んだが試してみた結論は

「雲上の富士山は、下界の天気予報と関係あり」

であった。19日に午後から雨になった点は予報通りであり、20日の日に晴れ間が戻らなかった点でも予報は当たっていた。前線が通過する際の天候の変化は富士山頂も決して例外ではないと体験としてわかったのだった。今後のためにも教訓となる登山だった。                 了

登りましたさんの投稿 | 投稿日:2011年8月20日 14:58

8/12に5合目入りして一泊し、翌13日5:00登山開始で、その日は元祖7合目で宿泊、14日に下山というスケジュールで行ってきました。

今まで御殿場ルートを除いてすべてのルートを制覇しましたがあ、富士宮は正直あまりいいルートではないですね。距離が短い分傾斜がきつく、特に体力のない子供や年配の方には不向きです。また途中立ち寄った山小屋も、5合目を除いてすべて対応の感じも悪いです。それと登山道と下山道が分かれてない!マナーの悪い中国人多い。(はしゃいで走って前の人にぶつかってけがさせているやつもいる始末。)

雑誌なんかでは”一番楽なルート”となっているようですが、あれはいろんな意味で嘘だと思います!

まるまるさんの投稿 | 投稿日:2010年2月14日 22:38

2009年8月15日に富士登山、してきました。地震があった後だったので、揺れたらどうしよう、と思っていましたが、無事帰ってきました。
富士登山を何度かしている友人に、「ここ何日かはきっと登山客も多いだろうから。」と、行きは富士宮口から。
帰りは御殿場口~宝永山~富士宮口六合目~富士宮口五合目。
のルートを勧められて、そのように降りてきてみました。
よく地図を見ないと、あっという間に宝永山へ行く道が過ぎ去ってしまいそうなので、注意が必要です。
しかし、甲斐あって、人混みを避けて降りることができました。

登山開始後、すぐに影富士を見ることができました。雲海の中にうかぶ富士山の影は、とっても神秘的でした。

黒まめさんの投稿 | 投稿日:2009年8月 8日 23:54

2009年7月16日、初めて富士登山に行ってきました。
登山口は、富士宮口から登りました。
当日は、快晴で絶好の登山日和!
8合目あたりまでは、遅いながらも順調に登っていましたが9合目付近から
急に体が重くなり、軽い頭痛と眠気が襲ってきました。
友人達に励ましてもらいながらなんとか頂上にはたどり着いたものの
苦しすぎて何の感動もありませんでした。
下山は、調子にのって走ったため完全に高山病になり強烈な頭痛、吐き気
眠気が襲う中、何とか下山できました。

今回の富士登山、登っている途中何回もあきらめようとしました。
そのたびに、友人や同じように登っている人達からガンバッテと
言われるたびに不思議とパワーが貰えた気がします。

ふっきーさんの投稿 | 投稿日:2009年8月 8日 23:46

ただいま!!!
6日から7日にかけて、富士宮口から登ってきました。高山病にもならず、なんとか登頂することができました。
6日の夜7時半頃から休み休み約9時間かけて登りましたが、天気にも恵まれ頭上には「満天の星空」眼下のは「一面の夜景」を見ながらの登山となりました。
初めてだったので、九合目からは正直しんどかったですが、このサイトでいろいろと参考にさせて頂いたので、念願の御来光にも間に合うことができました。

下山時、八合目からは土砂降りの雨・・・でしたが、富士山からのご褒美でしょうか、サプライズが。
ゴールも見えてきた六合目すぎに、なんと皇太子様とすれ違うことができました。
今は、あの苦しみを二度と味わいたくない気分ですが、しばらく経てばまた登りたくなることでしょう!

from Bさんの投稿 | 投稿日:2009年8月 8日 23:44

約20年ぶりに登頂してきました。朝5時半に出発!富士宮口から登りました。新6合でご来光、胸突き八丁に苦しみながら9時半には観測所へ到着しました。やはりブランクは大きい・・・20年前はもっとスイスイと登っていたような気がしましたが、体重15キロ増がきいています。
山頂は天気もよく、寒くもなかったのですが、帰りの車内でNHKのラジオのニュースを聞いていると、本日例年より5日遅れで初冠雪らしいです。雪・・・降っていませんでしたが・・・
帰りはさすがに9合目以降はガスっていました。朝早いうちに登ってよかったです。3連休初日で天気が良かったせいか、かなり登山客が多かったです。もう、シーズンオフですから登山客もぽつぽつかなぁ・・・と思っていましたが、かなり多かったのではないでしょうか?
久しぶりだったので、用心に用心を重ねて重装備で臨んだのですが、9合目を小学生の女の子がジーパンとトレーナーで登っていたのを見てちょっとショックでした。
明後日からは本格的に雪が降るそうですので、今回がホンとに今年最後のチャンスだったのかもしれません。
なんとなく満足感に浸りながら・・・寝ます。
また、チャレンジする際には投稿させていただきます。よろしくお願いします。


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